本書は、芹沢の養育論が展開する、子どもを基底とした関係性の初源である「おっぱい」を中心に「ある」が「する」に先行しなければならない、というテーゼについて解説をしている。
そしてつくづく実感するのは、芹沢の構築していく養育論が本質的だということだ。本質的である、とは、芹沢がウイニコットを「その見方は本質的です。養育論において本質的であるということは、理論的であることが同時に実践的である」からだ、と評しているが、まさにそれは、芹沢の養育論そのものを指した言葉のように受け取れる。本書が「理論篇」として編まれているのも、納得いただけると思う。
本書が、より多くの養育を実践する人、考える人々にとって、その受けとめ手の役割を果たしてくれる一書となることを期待している。
理論篇Ⅱ 目次
はじめに
「離乳論」1
小児科医の「離乳」認識/離乳論の前提/おっぱいの二つのはたらき/母親の安心が子どもの安心/安心―「ある」の形成の問題/「飲む」から「食べる」へ―「する」というはたらき/子どもにとって新たな力のレベル/「噛む」/歯が生える/おっぱいの喪失/自己愛の流れ/おっぱいからの撤収/口・肛門・性器/排便ということ/肛門筋の発達/噛む/早すぎた離乳/フランソワの場合/胃腸の弱さの遠因/授乳遊び/離乳遊び/ジャン・ポールの場合/吃音の出現/「早すぎない」とはどの時期なのか
「離乳論」2
二つのおっぱい体験/離乳の成功・離乳の失敗/生後三カ月でおっぱいから引き離された/おっぱいは出てこなかった/乳首を強く噛む/おっぱいとの別れ/恥ずかしさの感覚/「いない、いない、いた」/遊びによる自己乗り越え/おっぱいの存在論的意味/先行する「存在への欲動」/おっぱいへと後戻りしそうになる危機/願望の実現としての遊び/抑うつ的態勢/抑うつ的態勢の本体/早すぎた抑うつ的態勢/妄想的態勢/「良いおっぱい」と「悪いおっぱい」/投影ということ
「解離」論
「解離」とは/障害という言葉/解離は虐待が背景/解離は防衛/交代人格/防衛にならない/リストカット―切っても痛くない/養育論の考える多重人格/心と体の分離/もっとも頻繁に起きる症状/頭痛―解離の前駆症状/解離症例―ジョナウの場合/妻子の家出/ジョナウの経歴/自分が留置所にいるのはなぜ?/医師たちの結論/ジョナウの交代人格たち/交代人格同士は知らない間柄/サミー/キング・ヤング/ウソッファ/交代人格の暴力性/デ・ノヴァ
「暴力論」―『カラマゾフの兄弟』から見えてくること
「父親殺し」という暴力/ドミートリイは冤罪/スメルジャコーフの策謀/誰からも忘れられた子ども―ドミートリイ/イワン/アリョーシャ/母親/グリゴーリイ/スメルジャコーフ/グルーシェンカとカチェリーナ/フロイト以前に描かれていた「エディプス・コンプレックス」/兄弟の反応/破壊性はどこから来たのか/スメルジャコーフの母/野の百合/父はフョードル?/名付け親としてのフョードル/父は誰か/存在への侮蔑/てんかん発作/エディプスの問題―「親殺し」の欲動1/距離の問題―「親殺し」の欲動2/人間の顔/父親という存在/もう一人の容疑者/イワンが犯人?/顔、神の与えたもの
刊行にあたって
書名 | 芹沢俊介 養育を語る 理論篇Ⅱ |
---|---|
発行日 | 2021年5月15日 |
サイズ等 | A5判 156ページ |
ISBN | 978-4-9910235-6-9 |
定価 | 1018円(税込) |